大判例

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名古屋地方裁判所 昭和60年(行ウ)12号 判決

原告

牧内久

牧内元克

今村一三

塩澤龍雄

今村亮

鈴木泰三

右六名訴訟代理人弁護士

稲垣清

田中嘉之

被告

建設省中部地方建設局長

松田芳夫

右指定代理人

畑中英明

外一三名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告がした河川法二三条及び二四条に基づく左記水利使用許可処分を取り消す。

河川名 一級河川天竜川

許可年月日及び許可番号 昭和六〇年三月二七日 建部水第三八号

水利使用者 中部電力株式会社

水利使用の目的 水力発電

最大取水量 毎秒178.0864立方メートル

第二  事案の概要

一  争いのない事実等

1  泰阜ダム(以下「本件ダム」という。)は、長野県下伊那郡泰阜村内の一級河川天竜川(以下「天竜川」という。)に存する、高さ五〇メートル、長さ142.95メートルの直線重力式コンクリートダムで、昭和一一年以降水力発電に使用されてきた。

本件ダムの今日に至る経緯は、次のとおりである。

(一) 大正一四年三月 長野県知事が、天竜川電力株式会社に対し、水利使用許可処分をした。

(二) 昭和六年八月 矢作水力株式会社が、天竜川電力株式会社の権利義務を承継した。

(三) 昭和七年二月 長野県知事が、矢作水力株式会社に対し、水利使用計画の変更許可処分(期限は昭和三〇年三月二七日)及び本件ダムの設置許可処分をした。

(四) 昭和七年一一月 矢作水力株式会社によって本件ダムの建設が開始された。

(五) 昭和一〇年一二月 本件ダムが完成した。

(六) 昭和一一年一月 本件ダムにおける発電が開始された。

(七) 昭和一六年一〇月 日本発送電株式会社が矢作水力株式会社の権利義務を承継し、本件ダムは、日本発送電株式会社の所有となった。

(八) 昭和二六年五月 中部電力株式会社(以下「中部電力」という。)が日本発送電株式会社の権利義務を承継し、本件ダムは、中部電力の所有となった。

(九) 昭和三〇年二月 長野県知事が、中部電力に対し、水利使用の期限伸長許可処分(期限は、昭和六〇年三月二七日)をした。

2  被告は、昭和六〇年三月二七日、第一記載の水利使用許可処分(以下「本件処分」という。)をした。本件処分は、河川の流水を占用することを河川法(以下「法」という。)二三条に基づき許可する処分と河川区域内の土地を占用することを法二四条に基づき許可する処分とからなり、これらの占用の目的は、流水を既設の本件ダムに貯留して取水し水力発電を行うことである。

3  原告らは、長野県飯田市川路(以下「川路地区」という。)に所在する別紙図面の赤線で囲まれた区域内に農地を所有している。原告牧内久は、原告牧内元克と共有している右農地において、りんご、稲、野菜を作っている。また、原告今村一三は、同人所有の右農地において、稲、桑、野菜を、原告塩澤龍雄は、同人所有の右農地において、里いもを、原告今村亮は、同人所有の右農地において、柿と野菜を、原告鈴木泰三は、同人所有の右農地において、稲、桑、野菜をそれぞれ作っている。

4  昭和四一年から、いわゆる中堤防計画が実施された。これは、(一)天竜川に毎秒二〇〇〇立方メートルを超える流量の洪水が発生した場合には越流する高さの堤防を建設すること、(二)越流によって浸水すると想定される区域を危険区域に指定して、住居の用に供する建物等の建築を禁止するとともに、危険区域内に存する家屋を移転させること、(三)危険区域が洪水によって浸水し、農作物等に被害が発生した場合は、本件ダムに関係する被害額を算定し、中部電力が、補償金を関係者に支払うことを内容とするものである(以下、これを「中堤防計画」という。)。この計画の実施に伴い、昭和四一年三月に建築基準法三九条に基づき飯田市災害危険区域に関する条例(以下「条例」という。)が制定された。条例により、別紙図面の赤線で囲まれた区域は、洪水災害の危険があるとして、第一種災害危険区域に指定され、住居の用に供する建築物を建築することは禁止された(以下、右区域を「本件危険区域」という。)。また、本件危険区域内に存する家屋はすべて移転した。したがって、原告らは、本件危険区域内に住居を有しない。さらに、右(三)の補償は、中部地方建設局、長野県、飯田市及び中部電力の間で、昭和四一年四月一六日付けで、その旨の協定を締結し、これに基づいて行われることとなった。

(以上の事実のうち、1、2及び4の各事実は、当事者間に争いがなく、3の事実は、証拠(甲八六ないし八八、九六ないし九八)及び弁論の全趣旨により、認められる。)

二  争点

1  原告らの本件処分の取消しを求める原告適格

(一) 原告らの主張

(1) 本件ダムが合法的に存在している根拠は、法二三条及び二四条による本件処分である。そのことは、次の河川法の規定の沿革等から明らかである。

(ア) 昭和四〇年四月一日に廃止された河川法(以下「旧河川法」という。)一七条は、次のように規定していた。

「左ニ記載スル工作物ヲ新築、改築、若ハ除去セムトスル者ハ地方行政庁ノ許可ヲ受クベシ

一  流水ヲ停滞セシメ若ハ引用シ又ハ流水ノ害ヲ予防スル為ニ施設スル工作物

二  河川ニ注水スル為ニ施設スル工作物

三  河川ノ区域内ニ於テ敷地ニ固着シテ施設スル工作物又ハ河川ニ沿ヒ若ハ河川ヲ横過シ若ハ其ノ床下ニ於テ施設スル工作物」

(イ)  同法一八条は、次のように規定している。

「河川ノ敷地若ハ流水ヲ占用セムトスル者ハ地方行政庁ノ許可ヲ受クヘシ」

(ウ)  右一七条と一八条との関係については、「第一八条の許可は、工作物を施設すると否とにかかわらず、流水又は敷地を排他的独占的に継続して使用する場合に、流水又は敷地を占用する権利を設定するものである。これに対し、第一七条の許可は、第一八条によって得られた権利に基づき、その目的達成のためにされる工作物の新築、改築等の行為につき、公物管理上又は公物警察上支障の有無を検討し、禁止を解除する行為である。」と解されていた。

(エ)  右旧河川法一七条は現行河川法二六条となり、一〇条は現行河川法二三条と二四条に規定されることになった。そして、現行河川法の解釈としても、法二三条及び二四条の許可はいずれも右のとおり権利を設定する行為であるのに対し、法二六条の許可はこれらと異なり一般的な禁止を解除するものであって、権利を設定するものでない。

(オ)  ダムが合法的に存在するためには、流水及び土地を占用する権原がなければならないが、それは、右のとおり法二三条及び二四条に基づく許可によって与えられるのであるから、本件ダムの存在を合法的ならしめているのは、本件処分にほかならない。

(2) 原告らは、次のとおり、本件処分の取消しを求める原告適格を有する。

(ア)  抗告訴訟の趣旨、目的が国民の権利又は法律により保護された利益を救済することにあることに鑑みると、原告適格が認められるための「法律上の利益」とは、「民商法その他の法律や慣習法により保護された権利をはじめ、処分の根拠法のみならず、他の法令を含んだ法制度全体の趣旨、目的又はその個別条項により保護された利益」と解すべきである。

(イ)  原告らは、本件処分に基づき本件ダムが存在することにより、本件ダムの上流部の河床上昇に起因する洪水被害によって、土地所有権又は耕作権を、現に侵害され、将来も侵害されるおそれがある。土地所有権又は耕作権は、民法に根拠のある「厳密な意味での権利」である。したがって、原告らは、本件処分の取消しを求める原告適格を有する。

(ウ)  旧河川法は、ダム防災に関する規定を欠いていたが、長野県知事は、右一1(一)の許可処分をするに際し、天竜川電力株式会社に対し、「沿岸に対しては、本事業に起因して生じる損害を防止するに足るべき堤防築設等相当の工事をすべし」、「損害を蒙る者あるときは、その損害の限度により相当の補償をすべし」と命じた。また、本件ダム完成後、立て続けに洪水が起ったので、昭和二一年七月、長野県知事は、いわゆる「厳達命令」により、日本送発電株式会社に対し、「本件ダムによって上昇した河床を二メートル以上浚渫すること」を命じた。さらに、昭和三二年に、長野県は、「泰阜ダム災害補償審議会条例」を制定し、これに基づき同審議会が置かれ、次いでこの審議会の答申に応えて、「ダム撤去に代わるくらいの恒久対策」を実施するため、「泰阜ダム対策審議会条例」が制定され、これに基づき同審議会が置かれた。

(エ)  旧河川法が廃止され、現行の河川法が制定された目的の一つは、ダム防災に関する規定整備の必要にあった。

法一六条三項は、「河川管理者は、工事実施基本計画を定めるに当たっては、降雨量、地形、地質その他の事情によりしばしば洪水による災害が発生している区域につき、災害の発生を防止し、又は災害を軽減するために必要な措置を講じるように特に配慮しなければならない。」と規定している。

また、法は、第二章第三節第三款に「ダムに関する特則」を設け、法四四条一項は、「ダム……を設置する者は、当該ダムの設置により河川の状態が変化し、洪水時における従前の当該河川の機能が減殺されることとなる場合においては、河川管理者の指示に従い、当該機能を維持するために必要な施設を設け、又はこれに代わるべき措置をとらなければならない。」と規定し、同条二項は、「前項の河川管理者の指示の基準は、政令で定める。」と規定している。これを受けて、河川法施行令二四条一項は、「当該ダムの設置に伴う上流部における河床又は水位の上昇により災害が発生するおそれがある場合においては、必要に応じ、堤防の新築又は改築、低地の盛土、河床のしゅんせつ、貯水池末端付近における自然排砂を促進させるための予備放流その他これらに類する措置を行わせること。」と規定している。

さらに、「河川法第二章第三節第三款(ダムに関する特則)等の規定の運用について」と題する昭和四一年五月一七日付け建河発第一七八号各都道府県知事及び各地方建設局長宛河川局長通達は、「当該ダムの上流に生ずべき堆砂が原因となって災害が発生するおそれがないように、その対策として十分の余裕を見込んだ計画が作成されるように申請者を指導すること。」「毎年度、当該ダムの設置者から、その上流の堆砂の状況に関する報告を徴し、これによって災害が発生するおそれがないかどうかを検討すること。」と規定しており、昭和四三年二月一七日付け建設省訓令第二号「ダム検査規程」も、第四条(定期検査)に、「上流において堆砂等による河床又は水位の上昇がないかどうかを観測記録により確認すること。」と規定している。

これらは、いずれもダムについて、法一条にいう「洪水の予防」の目的を達成するための具体的措置を定めている規定であり、ダム上流の沿岸住民を洪水から保護する目的を持つものにほかならない。

(オ)  右(ウ)、(エ)で述べたとおり、法は、ダムの存在によって生ずる上流部の河床上昇に起因する洪水被害を受けるおそれのある者について、他の一般国民が受ける利益とは区別される、特別な、個人的、具体的な利益を保護しているということができる。したがって、原告らは、本件ダムを合法的に存在させている本件処分の取消しを求める原告適格を有する。

(二) 被告の主張

(1) 取消訴訟の原告適格を有するためには、「当該処分……の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者」(行政事件訴訟法九条)であることが必要である。この「法律上の利益を有する者」とは、当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者をいう。したがって、取消訴訟の原告適格を有するためには、原告らの主張する権利、利益が、当該処分の根拠規定によって保護されていなければならない。

そして、原告らの主張する権利、利益が、当該処分の根拠規定によって保護されているかどうかを判断するに当たっては、根拠規定のほか、根拠規定のある法規及び関連法規の目的規定並びに関連規定及びその沿革を考慮して、法の目的、当該処分を行うに当たって審査すべき事項、第三者の手続的関与の有無や程度などを総合的に検討し、根拠規定の趣旨、目的を明らかにした上、当該処分を通して保護しようとしている利益の内容、性質等をも考慮して、判断されるべきである。この場合検討の対象とされるべき法規には、政令以下の下位法規は含まれないと解すべきである。

(2) そこで、右のような観点から、原告らの原告適格について述べると、次のようになる。

法二三条及び二四条には、ダムの存在による上流部の河床上昇に起因する洪水被害との関係で、ダム上流の沿岸住民の生命、身体、財産を個別的利益として保護する趣旨の文言はない。

法一条は、「この法律は、河川について、洪水、高潮等による災害の発生が防止され、河川が適正に利用され、及び流水の正常な機能が維持されるようにこれを総合的に管理することにより、国土の保全と開発に寄与し、もって公共の安全を保持し、かつ、公共の福祉を増進することを目的とする。」と規定しているが、これは、洪水などの予防、河川の適正な利用、流水の正常な機能の維持を図るべく河川を総合的に管理することによって、公共の安全を保持し、公共の福祉を増進することを、一般的、抽象的に定めたものである。

法は、水利使用に関し、二三条又は二四条の許可の申請があった場合には、建設大臣は、原則として、関係行政機関の長に協議し(法三五条一項)、関係都道府県知事の意見を聴かなければならない(法三六条一項)としている。また、法は、二三条の許可の申請については、河川管理者に、関係河川使用者への通知を義務付け(法三八条)、関係河川使用者には、意見の申出を認め(法三九条)、申出のあった関係河川使用者が損失を受ける場合には、原則としてその同意を要するとしている(法四〇条)。しかし、法は、沿岸住民が二三条又は二四条の許可の手続に関与する規定を置いていない。

そのほか、法には工事実施基本計画に関する規定(法一六条)やダムに関する特則(法四四条以下)があるが、いずれも法二三条及び二四条の処分との直接の関連性はない。

したがって、法二三条及び二四条の処分に当たっては、洪水による災害の発生防止を、「公共の安全を保持し、かつ、公共の福祉を増進する」(法一条)ために、すなわち、一般的公益を守るために考慮しなければならないが、それ以上に、洪水被害を被る可能性のある沿岸住民個々人の個別的利益を保護しているわけではない。

(3) 仮に法二三条及び二四条が、沿岸住民個々人の何らかの個別的利益を保護しているとしても、次のとおり、ダムの存在による上流部の河床上昇に起因する洪水被害との関係で、ダム上流の沿岸住民の生命、身体、財産を個別的利益として保護しているわけではない。

すなわち、法二三条の許可処分は、流水を一定量排他的に使用する権利を与えるものに過ぎず、それ自体は何らダム等の工作物の設置、存続を法的に根拠付けるものではない。また、法二四条の許可処分は、特定の者(申請者)に対し、排他的に土地を使用することを許可する処分に過ぎず、法二四条の許可それ自体は、申請者が当該土地上にいかなる工作物を設置するかについては直接関知しない。

したがって、仮にダムの存在により水害が発生するおそれがあるとしても、法二三条及び二四条の許可処分により、沿岸住民の権利、利益が侵害されるわけではない。ダムという工作物の設置は、法二三条及び二四条の許可の対象ではなく、法二六条の許可の対象であり、同条の許可の法律上の効果として設置が認められるのである。

(4) 仮に、ダムの存在による洪水被害との関係で、ダム上流の沿岸住民の生命、身体、財産が法二三条及び二四条によって保護された利益と解し得る余地があるとしても、取消訴訟の原告適格を有する者は、災害により直接的かつ重大な被害を受けると想定される者に限られるべきである。

本件では、原告らは、想定される水害の危険のある地域に居住する者ではなく、原告らの生命、身体及び重要な財産である住居は水害によって被害を受けない。また、原告らが所有する土地が洪水被害を被るとしても、それは宅地以外の土地である上、本件ダムが存在することによる水害の被害は補償されることになっているのであるから、結局水害によって重大な被害を被るとはいえない。

したがって、原告らは、想定される水害によって直接的かつ重大な被害を被る者ではなく、本件処分の取消訴訟の原告適格を有する者の範囲に含まれない。

2 本件処分の適法性

(一) 被告の主張

(1) 天竜川の特性等

(ア)  天竜川流域の概要

天竜川は、狭窄部と氾濫原とが交互に存在するという地形的特性を有しているため、洪水が生じやすい。天竜川の上流域は、風化、浸食に弱い地質構造になっており、標高差の大きい急峻な地形と相まって、洪水時には、大量の土砂を含んだ水が一気に天竜川を流下し、随所で氾濫する。天竜川は、古来から「暴れ天竜」の異名を持つほど、住民に恐れられてきた。

(イ)  天竜川流域における洪水

天竜川流域の伊那谷は、古来からたび重なる洪水被害を受けてきた。近年の顕著な洪水を挙げただけでも、昭和二〇年一〇月、昭和二五年六月、昭和二八年七月、昭和三二年六月、昭和三六年六月、昭和四五年六月、昭和五七年八月及び昭和五八年九月と数多く発生しているが、このうち特に被害が大きかったのは、昭和三六年六月の洪水(以下「三六災」という。)と昭和五八年九月の洪水(以下「五八災」という。)である。

(ウ)  飯田市川路、龍江及び竜丘の三地区(以下「川路三地区」という。)における洪水被害

川路三地区は、上流を鵞流峡、下流を天竜峡という二つの狭窄部に挟まれた、天竜川の氾濫原にあるため、洪水被害を受けやすい地形になっている。そのため、川路三地区は、古来から洪水の常襲地であった。平坦部の田園は毎年のように冠水・浸水しており、一度豪雨となれば、一帯は湖水となってしまっていた。川路三地区付近において、天竜川の川筋は、絶え間なく変遷しているが、このことは、川路三地区が洪水の常襲地であったことを示している。

三六災は、伊那谷災害とも称され、川路地区の被害は、流失全壊家屋七九戸、半壊家屋四五戸、床上浸水五三戸、床下浸水四八戸であり、そのほか農地等にも被害をもたらした。一方、五八災では三六災とほぼ同程度まで浸水したが、天竜川上流域における治山治水施設の整備と、後述する中堤防計画の完了により、家屋の浸水被害はなかった。

(エ)  森林の荒廃

伊那谷の森林(山林)は、一六世紀ころから現在まで約五〇〇年の間に四度にわたる濫伐があり、そのうち最も至近なものは「昭和二〇年第二次世界大戦終戦前後の約二〇年間」濫伐といわれている。

一般に、森林(山林)の伐採によって生じた樹木の根茎は、一〇年から一五年程度を経ると腐敗し、それによって従前有していた大地に対する緊縛作用が衰える。そのため、森林(山林)の伐採が行われたところが、大雨に見舞われると、表層型の山林崩壊が生ずることになり、山林崩壊は、河川に多量の土砂を流出させることになる。

濫伐によるこのような山林崩壊の多発が、川路三地区を含めた伊那谷の天竜川の河床上昇に影響を与えている。

(オ)  大雨の多発

本件ダム上流の天竜川流域における明治四四年からの降雨記録によると、大正時代と本件ダム建設以前の昭和初期は洪水になるような降雨が少なかったことが分かる。すなわち、二日雨量一五〇ミリメートル以上の日数は、明治四四年から昭和一〇年の二五年間ではわずかに三回であるのに対し、昭和一一年から昭和五八年の四八年間には一一回となっており、本件ダム建設後に洪水を招来するような大雨が多発していることがうかがわれる。

(2) 天竜川上流流域の治水対策

(ア)  工事実施基本計画

現在、我が国の一級河川においては、法一六条に基づき、各水系ごとに工事実施基本計画が定められ、これを将来目標として治水事業が実施されている。天竜川水系工事実施基本計画は、昭和四〇年四月一日から現行の河川法が施行されたことに伴い、従前の計画を基に昭和四〇年四月二八日付けで決定された。これにおいては、既往の洪水に加え、三六災の出水の実態等に基づいて計画高水流量を決定した。すなわち、天竜川の基準地点である天竜峡地点における基本高水のピーク流量を、毎秒四三〇〇立方メートル(約五〇年に一回程度の洪水流量)とし、このうち美和ダム及び小渋ダムにより毎秒一一一〇立方メートルの洪水調節を行い、計画高水流量を、毎秒三一九〇立方メートルとするものであった。

その後、流域内における社会経済の変化などから安全度を大幅に向上する必要が生じ、そのためと天竜川水系の上下流を一貫した計画にするために検討を重ね、昭和四八年度に全面的に改定を行った。改定内容は、天竜峡地点で年超過確率一〇〇分の一の計画雨量に対する基本高水のピーク流量を毎秒五七〇〇立方メートルとし、上流ダム群で毎秒一二〇〇立方メートルを調節することとして、計画高水流量を毎秒四五〇〇立方メートルとしたものである。なお、これは天竜川の治水事業の長期目標であって、当面の河川改修の整備水準は、戦後の最大洪水である昭和五八年災の洪水流量毎秒約三八〇〇立方メートル(天竜峡地点)を安全に流下させることを目標としている。

(イ)  天竜川の河川改修事業

天竜川流域では、古くから、洪水被害を軽減するため、堤防等を築いてきた。

建設省は、昭和二二年から河川工事の必要箇所ごとに工事を実施していたが、昭和二八年に、美和ダムの建設を含む総体計画を樹立し、築堤護岸工事の促進を図った。三六災を契機に工事箇所の数も増え、堤防や護岸等が急速に整備された。

昭和四〇年の現行河川法の施行に伴い、姑射橋から上流54.6キロメートルが建設省の直轄区間となった。その後、直轄区間は増え、126.78キロメートルとなっている。

(ウ)  砂防・地すべり対策事業

天竜川の治水における砂防事業の重要性は古くから認識され、砂防工事が行われてきたところであり、特に荒廃の激しかった小渋川については昭和一二年から、三峰川については昭和二六年から国の直轄砂防事業を実施してきた。その後、国が直轄砂防事業を行う対象区域は拡大し、その面積は、一三三二平方キロメートルにも及んでいる。これは、天竜川上流域(長野県域)の流域面積の約三分の一にも達するものである。国(建設省)が、平成四年度末までに完成させた砂防施設は、砂防ダム一三八基、床固工一〇箇所、流路工二箇所、護岸工一二箇所及び導流堤一箇所であり、これに農林水産省の施工による治山事業及び長野県の施工による砂防及び治山事業の施設を加えれば、膨大な数となる。

さらに、天竜川上流域における中央構造線等の断層上に分布する地すべり地については、昭和六三年から二地区で、国の直轄地すべり対策事業に着手している。

(エ)  ダム事業

天竜川水系における既設の建設省直轄のダムとしては、三峰川に設置されている美和ダム(昭和三四年一一月完成)、小渋川に設置されている小渋ダム(昭和四四年五月完成)があり、現在建設中のダムとしては、三峰川の戸草ダムがある。

そのほか治水機能を有している長野県の施工によるダムとしては、飯田松川の松川ダム(昭和五〇年三月完成)、横川川の横川ダム(昭和六二年三月完成)、片桐松川の片桐ダム(平成元年三月完成)及び沢川の箕輪ダム(平成四年九月完成)がある。

ところで、ダムの洪水調節機能を損なう要因となるのは、貯水池内に流入してくる土砂の堆積であるが、これら多目的ダム(右のダムのうち、治水ダムである横川ダムを除いたもの)における貯水池容量配分計画では、貯水池の下から堆砂容量、利水容量(発電及び潅漑容量等)、治水容量(洪水調節容量)となっており、治水容量は、ダムの総貯水容量の一番上に位置し、堆砂の影響を一番受けにくいところに設定してある。

また、美和ダムでは、浚渫等により堆積土砂の排除を行い、貯砂ダムの建設も行っている。そのうえ、ダムの従来の機能を増大し、堆砂を抑制するため、建設省の直轄事業として我が国初のダムリフレッユ事業である美和ダム再開発事業が進められている。この事業は、従来のダム機能を維持するとともに新たな治水・利水容量を確保するため、堆積土を掘削するとともに、堆砂を抑制するため貯水池の上流端に堰及び洪水バイパスを設置し、下流河道に影響を与えない範囲で土砂を洪水とともに排砂する事業である。小渋ダムでも、美和ダムと同様に、ダムの貯水池機能の維持を図るため、貯砂ダム(現在二基完成している)を設けて貯水池内への土砂流入を防ぎ、掘削機械による砂利採取を行っている。

(3) 川路三地区の治水対策

(ア)  大堤防計画

建設省は、三六災後、堤防高が堤内地盤からおおむね一〇メートル、堤防敷幅が六〇〜七〇メートルの大堤防を、右岸はJR飯田線の前面に、左岸は竜江地区の御庵地内に築造する、いわゆる大堤防計画を立案した。しかし、大堤防計画については、地元の関係者から、この堤防計画では潰地が多く、農地の減少により農業経営が破綻する旨の意見が出されたため、この計画を中堤防計画に変更し、これを実施した。

(イ)  中堤防計画

中堤防計画は、次の三点から成り立つものである。

(a) 越流堤を築造する。

越流堤は、在来の堤防を川表の小段とし、毎秒二〇〇〇立方メートルを超える流量の洪水が発生した場合には越流する高さの堤防である。右の毎秒二〇〇〇立方メートルという数量は、三六災に次いで大きな洪水であった昭和二〇年一〇月の洪水における天竜峡地点の洪水流量毎秒約二七〇〇立方メートル(約一〇年に一回程度の洪水流量)を基に、美和ダム、小渋ダムの調節効果を見込んで、算出された数量である。

越流した場合に、堤防天端と堤内地の高低差が大きいと、堤防法面及び堤脚部が洗掘される。また、越流して堤内地に浸水した水は、本川の水位低下と共に排水樋管(新設)から本川に排出されるが、堤内地に排水路以外の低地部が存在すると、その部分に排水が集中して流れるため耕地が洗掘される。さらに、当地区には大小の支川が流入しており、本川の水位上昇に伴い内水被害も生じる。したがって、越流した場合の堤防及び堤内地の被害を最小限にとどめるとともに内水被害を軽減するため、堤内地に0.5〜6.4メートルの地上げを行った。

(b) 危険区域を指定し、危険区域内の住居の用に供する建物等の建築を制限するとともに、危険区域内に存する家屋を移転する。

飯田市は、建築基準法三九条に基づき、条例により、三六災の浸水した区域にほぼ相当する区域を危険区域に指定した。この危険区域は、危険度に応じ第一種災害危険区域と第二種災害危険区域とに分類され、第一種災害危険区域内においては、住居の用に供する建築物を建築してはならない。

危険区域内に存する家屋約五四戸を危険区域外に移転することとしたが、これについては、長野県と中部電力とが昭和四一年四月三〇日付けで協定を締結し、これに基づき、移転に要する費用を中部電力が支出し、その移転に要する事務を長野県が実施した。

(c) 危険区域内で洪水による被害が発生した場合は補償する。

中部地方建設局、長野県、飯田市及び中部電力の間で、昭和四一年四月一六日付けで協定を締結し、危険区域が洪水によって浸水し、農作物等に被害が発生した場合は、本件ダムに関係する被害額を算定し、中部電力が、補償金を関係者に支払うものとした。

(ウ)  川路三地区に対する補償

本件ダムの竣工以来、水害が発生した場合、その時々の電力会社は、そのすべてが本件ダムの影響とは考えていなかったようであるが、円満な解決を望み、その都度対処してきた。

なかでも、三六災に関しては、中部電力は、被災直後に移転した家屋二一九戸(うち川路地区は一二〇戸)の移転補償費等、合計三億七〇〇〇万円を支出し、さらに、右危険区域内に存する家屋約五四戸の移転費用及び移転後土地が宅地として使えないことによる減価補償並びに被災直後に家屋を移転した者に対する見舞金(実質は減価補償の趣旨である)等、合計一億六八〇〇万円を支出した。

また、農作物等の被害に対する補償金として、昭和四五年災害については二二〇〇万円、五八災については一億八五五〇万円がそれぞれ支払われた。

(エ)  地上げ計画

(a) 経緯

昭和五一年中央自動車道の名古屋から伊那谷北部までの間が供用開始された。それにより、伊那谷の物流の搬送は飛躍的な発展を遂げた。また、伊那谷は木曽山脈、赤石山脈、天竜峡等の観光資源を有することから、観光客の流入も増えた。昭和五七年中央自動車道の全面供用開始により、伊那谷地域はさらに産業、文化の発展に拍車がかかることとなった。

そして、このような社会環境の変化とともに、土地利用の見直しの気運が高まり、危険区域指定の撤廃が強く望まれるようになった。そこで、中部地方建設局、長野県、飯田市及び中部電力の間で協議した結果、計画高水位まで盛土することを主たる内容とする事業(以下これを「地上げ計画」という。)を実施することとなった。

(b) 河道計画

地上げ計画における河道計画は、次のとおりである。

① 対象流量

地上げ計画における整備水準は、戦後の最大洪水流量である五八災の毎秒約三八〇〇立方メートル(天竜峡地点)を安全に流下させることを目標とする。

② 法線の設定

河道を決めるための法線(通常は堤防の川表肩を結んだ線、この場合は盛土の肩を結んだ線)については、洪水時における流水の方向や水衝りの位置、河道の現況、三六災での河岸の崩壊状況や土砂の移動状況、模型実験結果を勘案して、決定した。

③ 縦横断形の設定

右②のとおり設定された法線に対応して、右①の対象とする流量を計画高水位以下で流下させるために、河道の縦横断形を設定した。計画高水位は、工事実施基本計画に定められた時又地点の計画高水位に対応し、かつ五八災の洪水痕跡値を包絡する高さとした。

本件ダムから川路三地区までの河床は、三六災後に最も堆砂が進行したが、その後は砂防事業等によって流域からの土砂の流出が抑制され、大洪水時に上昇するものの、その後の中小洪水により徐々に低下することを繰り返しながら年々低下してきている。したがって、地上げ計画における河床の縦断形は、戦後最大洪水を受けて近年で最も高くなった五八災後の河床とした。

横断形については、五八災後の断面(河床)を基に、川路三地区については、右②の法線より山側の区域を計画高水位の高さまで盛土する計画とした。

④ 安全性

地上げ計画では従来洪水が氾濫していた部分を盛土することになるが、この盛土部分は、洪水時にいわゆる死水域となる部分であり、洪水が流下する有効断面を侵すことにはならず、また、洪水の主流部と死水域との間の流れの乱れが無くなることにより、エネルギーの損失が小さくなって、洪水の主流部の流速が増すため、水位はほとんど変わらない。

(c) 地上げ計画の効果

地上げ計画は、右(イ)(b)の危険区域内への洪水被害のおそれをなくすことを目的として、立案されている。したがって、地上げ計画の盛土が完成した所から、逐次右危険区域の指定は解除されることになる。また、地上げ計画の盛土高は、本件ダムの影響分を超えている(川路三地区で本件ダムが存在することによる水位の差は、最大3.5メートルであるが、盛土高は、これを上回る。)ので、地上げ計画の実施によって、本件ダムの影響は排除される。したがって、右(イ)(c)の危険区域内で洪水被害が発生した場合の損失補償についても、盛土が完成した所から逐次除くことになっている。

(d) 地上げ計画の実施状況

地上げ計画を実施するためには、盛土に使用する土砂の土取場の確保及びその土砂を搬出する運搬道路の建設等の準備工事と盛土等の本工事が必要であるが、準備工事は、かなり進展している。また、盛土等の本工事は、平成四年二月一四日に、起工式を行い、既に事業に着手している。

(4) 河床低下

川路三地区・天竜峡付近における天竜川の河床は、右(2)(ウ)で述べた砂防・地すべり対策事業等及び次に述べる堆積土砂の排除によって、全体的に低下していることは明らかである。

(ア)  堆積土砂の排除

天竜峡下流の阿知川合流点において、昭和五九年一二月から、天竜川公社による河床堆積土排除のための砂利採取が行われている。その許可量は年間約一〇万立方メートルにも及び、平成四年三月三一日までの許可量の合計は八六万八〇〇〇立方メートルに達している。

そのほか、川路三地区の天竜川の河道において、従前から砂利採取業者によって年間数万立方メートルの砂利採取が行われてきており、河床低下に寄与している。

さらに、昭和六三年度から、建設省天竜川上流工事事務所は、川路三地区において、河道整正工事により土砂の排出を行っており、その掘削量は、平成四年度末で合計約八万立方メートルとなっている。

(イ)  河床低下の状況

天竜川の河道において、河床低下が進んだという実現象が見られる事例として、天竜川の天竜橋下流右岸で合流する新川と本川との河床の差が挙げられる。三六災当時、河床の差はほとんど無かったが、本川の河床が低下した結果、平成元年度は約三メートルの差が生じており、合流点において支川の流水は、本川に向けて滝のように流れ落ちている。

また、阿知川合流点上流の本川河床は、天竜川公社による堆積土砂の排除の着手以来低下を続け、平成元年度までに新川合流点と同様約三メートル低下している。

天竜峡においても、死人岩、鳥帽子岩、姑射橋下の岩、仙状磐等の奇岩が、平水位において昔の面影を現しつつあり、河道内に突き出ている岩等が舟下りにとって危険であるとして、舟下り会社が関係行政庁の許可を得て岩の一部を取り除いたほどである。

(5) 本件ダムの公共性

本件ダムに設けられている泰阜発電所は、その建設以来、今日に至るまで、貴重な電力源として、長年にわたって発電を継続し、昭和五八年七月二〇日には、発電電力量の累計は一〇〇億キロワットに及んだ。また、泰阜発電所の平成元年の発電実績二億七六〇〇万キロワットは、飯田市の年間電力需要の約七三パーセントに相当している。このように、泰阜発電所は、電力供給を通じて社会に貢献してきたのであり、泰阜発電所ひいては本件ダムの公共性は極めて高いというべきである。

(6) 本件処分と裁判所の審査の方法

法二三条、二四条の各許可は、その処分要件が法に明示されていない上、これらは、講学上の「特許」に当たる。

また、法二三条の許可をするに当たって、河川管理者は、申請者がその事業を適正かつ確実に遂行すべき意思、資力及び技術的能力を有しているかどうか、その事業が国民経済上又は国民生活上有効であり、公共の福祉の増進に資するものであるかどうかなど諸般の事情を審査する必要がある。特に、最近では、国が河川総合開発、地域開発、産業立地など利水に関係のある計画又は構想を立てており、これらの計画又は構想に沿った調整をする必要にも迫られている。

法二四条の許可をするに当たっても、法二三条の許可と同様に占用目的の公共性等諸般の事情を審査する必要がある。さらに、河川区域の土地は、本来一般公衆の自由な使用に供されるべきものであるから、この公共用物としての本来の利用の実現との各種の調整も必要となる。

以上述べたところからすると、法二三条、二四条の各許可は、河川管理者に広い裁量権が付与された処分であるということができる。

したがって、本件処分は、河川管理者が裁量権の限界を超えて処分したり、河川管理者が裁量権を濫用して処分したりした場合を除いては違法とならず、原告らがこの点の主張、立証に成功しない限り、裁判所においてこれを取り消すことはできない。

また、このように行政庁の裁量の幅が広い行政行為を裁判所が審査するに当たっては、裁判所が行政庁と同一の立場に立って独自に要件を認定した上、処分をすべきであったかどうかという判断を行い、その結果と当該処分を比較検討してその適否を審査する方法を採ることは許されず、裁判所は、あくまでも当該処分が行政庁の裁量権の行使としてされたものであることを前提として、その判断要素の選択や判断過程に著しく合理性を欠くところがないかどうかを判断すべきものである。

(7) 本件処分の適法性

被告は、取水又は流水の貯留に係る水利使用に関する許可については、実務上、概ね次のような指針に沿って、その裁量権を行使している。

(ア)  当該水利使用に係る事業が国民経済上及び国民生活上有効なものであること。

(イ)  流量その他の河川の状況に照らして当該水利使用が十分成立し得るものであるとともに、他の河川の使用との間の調整が適正に行われ、かつ、流水の正常な機能の維持に影響を及ぼすものでないこと。

(ウ)  当該水利使用に関する工作物の設置又はその工事により治水上その他公益上の支障を生ずるおそれがないこと。

被告は、こうした指針にのっとり、本件処分をした。すなわち、右(ア)については、右(5)のとおり公益性がある。(イ)については、本件ダムの取水口から放水口までの間が短く、この間に他の水利使用者は存在しない上、下流の中部電力の平岡ダムまでの間にも他の水利使用者は存在しなこと等から、この要件を満たす。(ウ)についても、そもそも、右(1)で述べたとおり、川路三地区に洪水被害が生ずる原因は、本件ダムのみにあるのではない上、右(2)ないし(4)で述べたとおり治水対策が講じられている。殊に、右(3)(イ)のとおり中堤防計画という完結した治水対策が既に講じられており、また、右(3)(エ)の地上げ計画も事業完成後は同様の完結した治水対策となる。したがって、治水上の支障はない。

以上のとおり、本件処分に当たり、裁量権の逸脱、濫用はない。

(二) 原告らの主張

(1) 頻発した洪水の原因

金原明全が明治一五年の秋から天竜川にある岩石の撤去工事をし河床が低下したこと及び明治年間に石堤が築かれたことから、明治三六年八月の洪水を最後として、川路地区(当時は川路村)には、洪水被害はなかった。大正一二年に、高台にあった小学校が川路地区の中心部に移転し、昭和三年に、伊那電気鉄道(現在のJR飯田線)が、川路地区を通って飯田から天竜峡まで延長されたことは、もう洪水に襲われることはないとの当時の人々の安心感を示すものである。

ところが、川路地区は、本件ダム完成後約半世紀の間に、昭和一三年の洪水災害から五八災まで一一回も洪水に襲われた。その原因は、本件ダムによる河床上昇以外には考えられない。

被告が主張する川路地区の地形的特徴とか森林荒廃等の自然条件は、川路地区が洪水に襲われることのなかった明治三六年から昭和一三年までの約三五年間にも存在した条件であり、これらはいずれも、本件ダム完成前川路地区には三五年間洪水がなかったのに、なぜ完成後の約半世紀の間に一一回も洪水が頻発したのかという疑問を説明することができないものである。

被告は、降雨量の違いも原因の一つと主張するが、たとえ降雨量が被告の主張するとおりであったとしても、これのみでは、右の疑問に対する説明にはなり得ない。

本件ダムによる河床上昇が洪水の原因であることは、学者によって指摘されているばかりでなく、河川管理者である歴代の長野県知事もこれを認めていた。そのことは、前記1(一)(2)(ウ)のとおりである。

(2) 三六災後の治水対策

(ア)  三六災前の事情

(a) 三六災以前に検討された抜本的対策

昭和二五年七月、当時の川路村長安藤長造は、その著書において、本件ダムが原因となって起こる洪水被害の解決策を検討し、「本件ダムの貯水池内の砂利堆積部から上流を掘削し、これによって上流を旧河床まで掘り下げる方法」は、相当な工費を要しかつ相当に困難であるが、必ずしも不可能でなく、上流の災害を完全に解決することが可能な唯一の方法であると述べている。

(b) 長野県の公約

昭和三〇年二月一九日、長野県知事は、中部電力に対し、水利使用期限を昭和六〇年三月二七日とする本件ダムに係る水利使用の期限伸長許可処分(前記一1(九))をした。川路村ら沿岸の地方自治体は、昭和三一年五月一〇日、右処分を不服として、建設大臣に対し、訴願を申し立てた。しかし、建設大臣は、三箇月を経過するも裁決をしなかったので、昭和三二年六月二六日、右地方自治体は、右許可処分の取消しを求める行政訴訟を長野地裁に提起した。

その直後の昭和三二年六月二七日から二八日にかけて、川路地区は、洪水に襲われ、大きな被害を被った。そこで、右洪水災害の後、川路住民らは、泰阜ダム撤去期成同盟を結成し、ダム撤去運動を展開した。

右洪水災害の後設置された泰阜ダム災害補償審議会は、昭和三三年一二月二三日、「県は、水害除去のための根本対策を速やかに実施するよう努力する。」との答申をした。これを受けて、泰阜ダム対策審議会が設置され、長野県は、「ダム撤去に代わるくらいな抜本的対策を県で考えて、順次具体化し、地元に示していくこと」を公約した。その結果、昭和三四年四月一日までに順次右訴願、訴訟の取下げとダム撤去期成同盟の解散に至った。

(イ)  無謀な大堤防計画

建設省が三六災後策定した大堤防計画は、過去に頻発した洪水の根本原因である河床上昇という現象を放置するもので、不当なものである。

仮に、大堤防計画では潰地が多く農業経営が破綻するので、潰地を最小限にする計画として欲しい旨の意見が地元の多数意見であったとしても、それは当時の時代背景に鑑みると無理からぬ意見であったというべきである。住民の生活を成り立たなくするような計画は、治水対策ではあり得ない。

(ウ)  住民の悲願に反する中堤防計画

三六災後実施された中堤防計画は、川路住民に、「かつての平和な農村に返る日」が訪れない点で、川路住民の悲願に根本的に反する。

中部電力が家屋移転に対する補償金を支払ったといっても、移転先の土地は何ら手当されず、住民が個人の責任で購入した。また、家屋を移転した者は、移転資金について借入れせざるを得ず、その返済に苦労した。さらに、土地が宅地として使えなくなったことによる減価補償等について、中部電力によって憲法上正当な補償がされたことは立証されていない。

危険区域内で洪水によって農作物等に被害が発生したときは、中部電力が補償する旨の約定は、被害全額について本件ダムと因果関係があるにもかかわらず、中部電力が被害全額を補償するものではない。現に、五八災における被害の補償は、飯田市が算定した被害総額の半額に過ぎなかった。

昭和四六年四月一四日、飯田市長と天竜川治水対策委員長は、被害住民からの要請が強いとして、姑射橋下流の河床浚渫を陳情しているが、この事実も、三六災後の被告の治水対策が十全でなかったことを物語るものである。

(3) 地上げ計画の不十全性

(ア)  地上げ計画策定の意味

地上げ計画は治水対策そのものである。河川管理者が三六免後の治水対策の不十分性を認識し、これを抜本的に変革すべきとの認識を有していたため、地上げ計画が策定されたのである。建設省天竜川上流工事事務所は、昭和五〇年代半ばには、抜本的な河道改修計画の策定が急務であるとして、そのための調査に着手しているが、このことは、河川管理者が右のような認識であったことを示している。

地上げ計画の策定を促した社会的要因の一つとして、被告の主張するような「社会環境の変化」があるとしても、それが、三六災後の治水対策の不合理さを顕在化させ、抜本的な河道改修計画の策定を必要とするようになったといえる。

(イ)  地上げ計画の安全性に対する疑問

(a) 盛土の標高に関する説明の矛盾

被告によれば、地上げ計画は、計画高水位まで盛土する計画である。そして、天竜峡地点における計画高水位は、昭和四八年に改定された工事実施基本計画において、375.43メートルとされている。また、時又における計画高水位は、376.37メートルとされている。

地上げ計画の事業完成後の整備水準の説明によれば、盛土の標高は川路地先で376.8メートルである。

右によると、川路地先の盛土高は、さらに上流の時又の計画高水位より高く、工事実施基本計画による計画高水位まで盛土するとの説明は是認できないことになる。この場合、川路地先の盛土高は上流の時又の計画高水位より高いからより安全であるという議論は意味がない。盛土の標高がなぜ川路地先で376.8メートルとされているのか、その理由が不明となることが重要な問題なのである。

(b) 五八災の洪水規模の把握

地上げ計画は、五八災と同規模の洪水が再来した場合に、洪水が盛土部分に氾濫することなく流下することを目標としている。

被告は、五八災における天竜峡のピーク流量は、毎秒約三八〇〇立方メートルであり、地上げ計画が完成すれば、この流量が安全に流下するとするが、右の五八災におけるピーク流量は、あくまでも推定であるし、そのように推定する過程の一切が不明である。

三六年災と五八年災の洪水の痕跡を対比した測量の結果によれば、五八災が三六年災を水位において相当程度に上回っていたことは、明らかである。ところが、被告は、三六年災と五八年災の洪水規模は、ほぼ同じであったという認識の下に地上げ計画を策定した疑いがある。そうであるとすれば、五八年災の規模を過小に評価したものではないかという疑問が生じる。

(c) 洪水の流出パターンの変化

道路整備、開発、減反政策などによって、山林、水田の保水機能は大きく、急速に、また確実に低下している。五八災洪水の流出の速さは、三六年洪水時とは比較にならないものであった。流域に同じようなパターンで、同じ規模の降雨があったとしても、流出パターンが変化し、急激に高い水位の洪水が襲来することがあり得る。「地上げ案は本当の解決にはならない。ここ十数年は良いかもしれなが、そのあとは分からない。多分同じような水害に見舞われるのではないか」という見解は、杞憂といって捨て去るわけにはいかない。

洪水の流出に関連しては、上流ダムによる洪水の調節機能も問題になる。これに関する被告の主張は、要するにダム堆砂対策を必要に応じて行っているというのみで、データを一切捨象しているところに特徴がある。いわゆる治水容量が、現時点においても、将来にわたっても必ず確保され、洪水調節機能に全く支障のないことを、各ダム建設以来の砂の収支を明確にして根拠付けなければならないはずであるのに、それをしていない。五八災の際にどのように洪水調節が行われたのかも全く不明である(少なくとも、川路地区の水害を防御する調節機能は果たされなかった。)。

(d) 盛土による水位への影響

被告は、盛土部分は死水域であって、ここに盛土することによって水位に影響はないと主張するが、死水域を主流部から明確に区分することは、極めて困難である。模型実験は、その手がかりとなり得るとしても、洪水の流入、流出を再現することには限界がある。模型(モデル)の設定条件いかんによっては、実際の現象と模型実験の結果とは大きく齟齬することを見込まなければならない。

(e) 水位計算

地上げ計画においては、毎秒三八〇〇立方メートルの流量(天竜峡地点)を前提とする水位が盛土高を超えるものであってはならないところ、被告の水位計算(以下「本件水位計算」という。)によると、いずれの地点においても、断面水位が盛土高を超えることはない。

しかし、盛土高と断面水位との高低差は概ね一〇センチメートルに過ぎず、水位計算上の条件設定による誤差の範囲であるといわなければならない。

そのほか、以下の諸点に照らし、この水位計算の結果により地上げ計画を安全であると評価することはできない。

① 本件水位計算では、五八年災洪水の痕跡水位を基に計算しているが、痕跡がどの地点でどのように確認され、収集されたものであるかが全く明らかにされていない。

② 川路地先では盛土計画後においても、流路はわん曲しているが、わん曲の凸側においては凹側より高い水位を示すが、通常の水位計算においてはわん曲部の中央部に沿う水位が計算される。本件水位計算においては、この点は明確でないが、中央部に沿う水位が計算されたとすれば、凹凸各側で二〇センチメートル以上の水位差があると、川路側では盛土高を超えて溢流することになる。

③ 本件水位計算においては、支流から流入する流量が計算に組み込まれていない。これが無視できるものか、無視できるとすればどのような理由によるものか、明らかではない。

④ 土砂を大量に含んだ洪水流は土砂により水位が高くなることが考えられる。この現象は水位計算上は条件に組み込むことが困難であっても、実際に発生するものであるから、盛土高の設定に当たっては当然に検討され、反映されなければならない。

⑤ 本件においては、計画の安全性が問題にされており、災害の発生という現象を解析しているのではない。したがって、計画を安全にするための条件を設定する必要があるが、そのような配慮をした形跡は認められない。

(4) 河床の状況

被告は河床が全体的に低下していると主張するが、これについては、次の各点を指摘する。

(ア)  三六災、五八災の経験から明らかなとおり、土砂、土石を含む大洪水が河床上昇の最大要因である。全体的に河床が低下しているとすれば、昭和五八年以降、三六災、五八災に比較されるような大出水に見舞われることがなかったという自然的要因が第一に挙げられなければならない。したがって、今後、大洪水に見舞われたときに、掘削、排除した土砂量を超える土砂が流入し堆積しないという保障はどこにもない。

(イ)  被告が河床が低下していると指摘する個所は、被告主張の砂利採取を行った周辺であって、その限りで砂利採取の効果が現われているとしても、本件ダム上流全体の河床が低下しているとは評価できない。

(5) 本件処分の自由裁量性

被告は、本件処分は自由裁量処分であるから権限逸脱又は濫用がある場合を除いて、違法にならない旨主張している。そして、被告は、本件処分が「特許」であることを主張の第一の根拠にしている。被告の所論は、水利使用等の許可申請に対する不許可処分の取消しを申請人自身が求める訴訟においてなら通用し得ても、本件は、処分の当事者ではない第三者が処分により自己の権利を侵害されることを理由に、本件処分の取消しを求めている訴訟であるから、被告の所論は失当である。したがって、本件処分は自由裁量処分ではない。

(6) 本件処分の違法性

(ア)  本件処分が違法であること。

水利使用の許可処分は、法一条に定められている河川管理の原則に準拠して行わなければならないのであるから、処分をするに当たっては、「災害の防止」を、十分に考慮しなければならず、ダムが原因となって災害が発生する危険があってはならない。

右(1)で述べたとおり、本件ダムによる河床上昇が原告らの土地所有権又は耕作権の侵害の原因であり、右(2)ないし(4)で述べたとおり、被告の治水対策が十全でないことによって将来も水害が発生し土地所有権又は耕作権を侵害される危険がある(なお、次に述べるとおり地上げ計画の存在は、本件処分の適法・違法を判断するに当たって考慮すべきではないが、考慮したとしても、災害発生の危険があることには変わりがない。)。

したがって、本件処分が、「災害の防止」を、十分に考慮したものではないことは、明らかであり、本件処分は違法である。仮に、本件処分が自由裁量処分であるとしても、裁量権の範囲を超え又はその濫用があったということができる。

(イ)  地上げ計画と本件処分との関係

行政処分の取消訴訟において、当該処分の適法・違法をいかなる時点で判断すべきかについては争いがあるが、判例は、処分時説の立場に立っている。そうすると、本件処分についても、処分時である昭和六〇年三月二七日における事実状態を基準として違法性の有無を判断すべきことになる。

本件処分時においては、地上げ計画は策定されたばかりで、仮に、地上げ計画が、それが実現された場合に治水対策として十分なものであるとしても、計画の実現までに長い年月を要するものである以上(本件処分から既に九年を経過しているが、地上げ計画は完成していない。)、そのような計画が存在することを、本件処分の適法・違法の判断要素とすることはできない。

また、仮に、処分の適法・違法の判断の基準時として判決時説を採用するとしても、判決時に地上げ計画が完成していないことはもちろんのこと、被告も完成の時期を明示することはできないのであることから、同様の結論とならざるを得ない。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

第四  当裁判所の判断

一  原告らの原告適格について

1 行政事件訴訟法九条は、取消訴訟の原告適格について規定するが、同条にいう処分の取消しを求めるにつき「法律上の利益を有する者」とは、当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は侵害されるおそれのある者であって、当該処分の根拠法規により当該権利利益を個別具体的に保護されているものをいうと解するのが相当である。

したがって、当該処分を定めた行政法規が、不特定多数者の具体的権利利益を専ら一般的公益の中に吸収解消させるにとどめず、それが帰属する個々人の権利利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解される場合には、当該処分によりその個人的権利利益を侵害されるおそれのある者は、当該処分の取消訴訟における原告適格を有するものというべきである。そして、当該行政法規が、不特定多数者の具体的権利利益をそれが帰属する個々人の権利利益として保護すべきものとする趣旨を含むか否かは、当該行政法規の趣旨・目的、当該行政法規が当該処分を通して保護しようとしている権利利益の内容・性質等を考慮して判断すべきである。

2  そこで、次に、右のような見地に立って、法二三条、二四条に基づく水利使用許可処分につき原告適格を有する者について判断する。

(一) 法は、二三条、二四条に基づく水利使用許可処分を行う要件、基準については、明示的に定めていない。しかし、法一条は、「河川について、洪水、高潮等による災害の発生が防止され、河川が適正に利用され、及び流水の正常な機能が維持されるようにこれを総合的に管理することにより、国土の保全と開発に寄与し、もって公共の安全を保持し、かつ、公共の福祉を増進することを目的とする」と、法の目的を定めているのであるから、法二三条、二四条に基づく水利使用許可処分も、この法の目的に準拠して行われなければならない。

また、法は、一三条一項において、河川に設置される工作物は、安全な構造のものでなければならないと定め、同条二項に基づき河川管理施設等構造令が、その技術的基準を定めている。さらに、法は、四四条以下にダムに関する特則を置き、四四条一項において、ダムの設置者は、ダムの設置による洪水災害の発生を防止するため、河川管理者の指示に従い、必要な措置をとらなければならない旨を定め、同条二項に基づき河川法施行令二四条は、右の河川管理者の指示の基準を定めている。そして、これらの法律、政令等に違反する行為があった場合には、河川管理者は、与えた許可を取り消したり、行為の中止、原状回復等を命ずることができる(法七五条)。

これらの法の規定からすると、河川管理者が、法二三条、二四条に基づく水利使用許可処分をするに当たっては、単に流量その他の河川の状況に照らして当該水利利用が成立し得るかどうかということだけではなく、流水や土地を利用し、また、ダムを設置するなどして行われる当該事業がどのようなものであるか、それによって洪水等の災害の発生のおそれがないかということも考慮しなければならないというべきである。

なお、証拠(証人尾田栄章)及び弁論の全趣旨によると、水利使用に関する許可処分のうち、取水又は流水の貯留に関するものは、実務上次のような基準によって行われているものと認められるが、この判断基準は、右に述べたところと同趣旨のものである。

(1) 当該水利使用に係る事業が、国民経済上及び国民生活上有効なものであること。

(2) 流量その他の河川の状況に照らして、当該水利利用が十分成立し得るものであるとともに、他の河川の使用との間の調整が適正に行われ、かつ、流水の正常な機能の維持に支障を及ぼすものではないこと。

(3) その他当該水利使用に関する工作物の設置又はその工事により、治水上その他公益上の支障が生ずるおそれがないこと。

(二) 次に、法二三条、二四条は、許可処分の申請手続を建設省令の定めに委ねているところ、河川法施行規則一一条二項は、法二三条、二四条の許可処分の申請書には、水利使用に係る事業の計画の概要を記載した図書、水利使用による影響で治水に関するもの及びその対策の概要等を記載した図書等を添付しなければならないと規定している。したがって、河川管理者は、法二三条、二四条の水利使用許可処分の申請があったときは、それらの資料に基づき当該水利使用に係る事業によって洪水災害の発生のおそれがないかをも審査しなければならないのである。

(三) ところで、水利使用に係る事業によって洪水災害を被るおそれのある者は、河川周辺の一定の地域的範囲に居住するか財産を有する者にほぼ限定され、その被る損害の内容は、財産権に対するもののほか、生命、身体に対するものであることもある。このような水利使用に係る事業によって生ずるおそれのある被害の性質等を踏まえて、法二三条、二四条による水利使用許可処分を見ると、法が、これらの処分をするに当たり、当該水利使用に係る事業によって洪水災害が発生するおそれがないかを審査しなければならないものとしているのは、災害の発生防止を単に一般的公益として保護しようとしているにとどまらず、河川の周辺に居住し又は財産を有する者が洪水災害を受けないように配慮することにより、その生命、身体又は財産をこれら個々人の個別的権利利益としても保護すべきものとする趣旨を含むものと解することができる。

(四)  したがって、当該水利使用に係る事業によって洪水災害が発生するおそれのある地域に居住し又は財産を有する者は、法二三条、二四条に基づく水利使用許可処分の取消しを求める原告適格を有するというべきである。

3  そこで、進んで、右に述べたような観点から、原告らが、本件処分の取消しを求める原告適格を有するかについて判断する。

(一) 証拠(〈省略〉)及び弁論の全趣旨によると、本件ダムが建設された後、本件ダム上流部の天竜川の河床が上昇していること、本件ダムが設置されたことによって起こる土砂の堆積が右河床上昇の一因となっていること、本件ダム建設後、川路地区は、昭和一三年から昭和五八年までの間に一一回洪水被害を受けたが、これらの洪水被害の発生又は被害の拡大には、天竜川の河床の上昇が影響していることが認められる。そうすると、前記第二の一3、4において判示したように川路地区内の本件危険区域内に農地を所有している原告らは、本件ダムが原因となって洪水災害を被るおそれがある地域に財産を所有しているものと認められる。

(二) 以上のとおり、本件ダムは本件処分に係る事業に伴って設置されるものであり、原告らは、本件ダムが原因となって洪水災害を被るおそれがある地域に財産を所有しているのであるから、本件処分の取消しを求める原告適格を有する。

4  被告の主張(前記第二の二1(二)(3)(4))について

(一) 法二三条、二四条の許可は、河川の流水又は土地を使用する権利を付与するのみで、工作物の設置の許可を含むものではないが、既に述べたとおり、法二三条、二四条の水利使用許可処分をするに当たっては、当該水利使用に係る事業によって洪水災害の発生するおそれがないかを審査しなければならず、その場合、その事業が工作物を設置して行われるものであれば、その工作物が設置されていることに伴う洪水災害の発生のおそれも審査される。そして、本件処分においては本件ダムの設置が前提となっており、他方、本件ダムは本件処分がなければ、存続し得ないものである。

したがって、本件ダムによる洪水災害のおそれがあれば、それによって本件処分による権利利益侵害のおそれがあるということができる。

(二) 次に、前記第二の一3、4のとおり、原告らは、本件危険区域内に農地を所有するのみで、そこに居住してはいないから、原告らが洪水により被る損害は、住居以外の財産に関する損害である。また、その被害については、これを補償する旨の協定(前記第二の一4)もある。しかし、そうであるからといって、原告らがその財産について損害を被るおそれがあることには変わりはなく、また、法が農地を特に保護の対象から除外しているとすべき根拠はない。

二  本件処分の適法性

1  事実関係

(一) 天竜川の特性とその治水対策

証拠(〈省略〉)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 天竜川は、狭窄部と氾濫原とが交互に存在するという地形的特性を有しているため、洪水が生じやすい。天竜川の上流域は、風化・浸食に弱い地質構造になっており、標高差の大きい急峻な地形と相まって、洪水時には、大量の土砂を含んだ水が一気に天竜川を流下し、随所で氾濫する。天竜川は、古来から「暴れ天竜」の異名を持つほど、住民に恐れられてきた。

天竜川流域の伊那谷は、古来からたび重なる洪水被害を受けてきた。近年の洪水のうちで特に被害が大きかったのは、昭和三六年六月の洪水(三六災)と昭和五八年九月の洪水(五八災)である。

(2) 天竜川上流域の治水対策

天竜川上流域の治水対策としては、本件処分時までに、次のような事業が行われてきた。

(ア) 河川改修事業

天竜川流域では、古くから、洪水被害を軽減するため、堤防等が築かれてきた。

国(建設省)は、昭和二二年から河川工事の必要箇所ごとに工事を実施していたが、昭和二八年に、美和ダムの建設を含む総体計画を樹立し、築堤護岸工事の促進を図った。三六災を契機に工事箇所の数も増え、堤防や護岸等が整備された。

(イ) 砂防事業

天竜川の治水における砂防事業の重要性は古くから認識され、砂防工事が行われてきた。特に荒廃の激しかった小渋川については昭和一二年から、三峰については昭和二六年から、国の直轄砂防事業が実施された。その後、国(建設省)が直轄砂防事業を行う対象区域は拡大し、その面積は、昭和五二年以降は、一三三二平方キロメートルに及んでいる。このほか、農林水産省の施工による治山事業及び長野県の施工による砂防及び治山事業の施設がある。

(ウ) ダム事業

天竜川水系における既設の建設省直轄のダムとしては、三峰川に設置されている美和ダム(昭和三四年一一月完成)、小渋川に設置されている小渋ダム(昭和四四年五月完成)がある。

そのほか治水機能を有している長野県の施工によるダムとしては、飯田松川の松川ダム(昭和五〇年三月完成)等がある。

ダムの洪水調節機能を損なう要因となるのは、貯水池ないに流入してくる土砂の堆積であるが、建設省では、その対策として、浚渫等により堆積土砂の排除を行い、貯砂ダムの建設も行ってきた。

(二) 川路三地区における治水対策

証拠(〈省略〉)及び弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる(前記第二の一4の争いのない事実を含む。)。

(1) 大堤防計画

昭和三六年の洪水被害(三六災)によって川路三地区は大きな被害を被ったが、国(建設省)は、三六災後の昭和三七年に、堤防高が堤内地盤からおおむね一〇メートル、堤防敷幅が六〇から七〇メートルの大堤防を、右岸はJR飯田線の前面に、左岸は龍江地区の御庵地内に築造する、いわゆる大堤防計画を立案した。しかし、大堤防計画については、地元の関係者から、この堤防計画では潰地が多く、農地の減少により農業経営が破綻する旨の反対意見が多く出されたため、国は、この計画を実施しなかった。

(2) 中堤防計画

(ア) 国(建設省)は、潰地をいかに少なくして、治水効果を挙げるかを研究した結果、昭和四〇年一二月に、中堤防計画を発表した。そして、昭和四一年三月一九日、建設省中部地方建設局長、長野県知事、中部電力は、右計画を実施する旨の基本協定書を締結して、同年から右計画は実施され、右計画に伴う工事は、昭和四五年に完成した。

(イ) 右計画に基づいて実施された事項は、次のとおりである。

(a) 在来の堤防を川表の小段とし、毎秒二〇〇〇立方メートルを超える流量の洪水が発生した場合には越流する高さの堤防(越流堤)の建設

右の毎秒二〇〇〇立方メートルという数量は、昭和二〇年一〇月の洪水における天竜峡地点の洪水流量毎秒約二七〇〇立方メートル(約一〇年に一回程度の洪水流量)を基に、美和ダム、小渋ダムの調節効果を見込んで、算出された数量である。

また、越流した場合に、堤防天端と堤内地の高低差が大きいと、堤防法面及び堤脚部が洗掘されること、越流して堤内地に浸水した水は、本川の水位低下と共に排水樋管(新設)から本川に排出されるが、堤内地に排水路以外の低地部が存在すると、その部分に排水が集中して流れるため耕地が洗掘されること、川路三地区には大小の支川が流入しており、本川の水位上昇に伴い内水被害も生じることから、越流した場合の堤防及び堤内地の被害を最小限にとどめるとともに内水被害を軽減するため、堤内地において0.5〜6.4メートルの地上げが行われた。

(b) 危険区域の指定による危険区域内における住居の用に供する建物等の建築の制限と危険区域内に存する家屋の移転

飯田市は、建築基準法三九条に基づき昭和四一年三月に制定した条例により、三六災の浸水した区域にほぼ相当する区域を危険区域に指定した。この危険区域は、危険度に応じ第一種災害危険区域と第二種災害危険区域とに分類され、第一種災害危険区域内においては、住居の用に供する建築物を建築してはならない。また、危険区域内に存した家屋約五四戸は危険区域外に移転した。

(c) 危険区域内で洪水による被害が発生した場合は補償する旨の取決め

中部地方建設局長、長野県知事、飯田市長及び中部電力の間で、昭和四一年四月一六日付けで協定が締結された。この協定により、危険区域が洪水によって浸水し農作物等に被害が発生した場合は、本件ダムに関係する被害額を算定し、中部電力が、補償金を関係者に支払うこととなった。

(ウ) 右計画に基づく補償

長野県知事と中部電力は、昭和四一年四月三〇日、中部電力は、危険区域内に存する家屋の移転費用等一億六八〇〇万円を負担する旨の協定を締結し、中部電力は、一億六八〇〇万円を、長野県に支払った。この一億六八〇〇万円は、危険区域内に存した家屋約五四戸の移転費用及び移転後その敷地が宅地として使えないことによる減価補償並びに被災直後に家屋を移転した者に対する見舞金(実質は減価補償の趣旨である。)等に充てられた。なお、中部電力は、これより前に、三六災直後に移転した家屋二一九戸(うち川路地区は一二〇戸)の移転補償費等、合計三億七〇〇〇万円を支出した。

中部電力は、昭和四一年四月一六日付けで協定に基づき、農作物等の被害に対する補償金として、昭和四五年災害については二二〇〇万円、五八災については一億八五五〇万円を支払った。

(3) 地上げ計画

(ア) 経緯

社会情勢の変化とともに、右危険区域内の土地を有効に利用したいとの要望が強くなった。昭和五五年一二月には、飯田市長から建設省天竜川上流工事事務所長に宛てて、盛土をすることによって洪水被害を被らないようにし、危険区域を廃止してほしいとの内容の要望書が出された。そこで、昭和五六年三月に、川路龍江竜丘地区振興対策連絡会議が、建設省中部地方建設局、長野県及び飯田市の三者によって発足し、飯田市の右要望にどのように対応するかを検討した。

建設省中部地方建設局は、昭和五八年一二月、右会議における検討の結果を踏まえて、「川路、竜江、竜丘地区に関する今後の治水対策の方向(中間報告)」と題する文書を公表した。これによると、本件ダムの影響排除の方策については、地上げ等を基本に置いて今後具体的に検討するとされていた。そして、以後も、右会議参加の三者に中部電力を加えた四者で検討が続けられる一方、右中間報告の内容について、地元の三地区において説明会が行われた。

飯田市は、昭和五九年一二月、築堤することなく地上げのみにて条例撤廃可能な高さにされたいなどとする内容の要望書を、建設省中部地方建設局に出した。そして、昭和六〇年一月一六日、中部地方建設局、長野県及び飯田市の間で、「川路、竜江、竜丘地区の治水対策に関する基本合意」がされた。これは、計画高水位まで盛土による地上げを行い、盛土が完成したところから、逐次条例に基づく危険区域の指定を解除するとともに、補償協定に基づく水害補償措置の対象から除外することを内容とするものであった。なお、洪水の被害を防止し組合員の生活の安定を図ること等を目的として飯田市川路地区の住民によって組織されている飯田市川路水害予防組合は、右基本合意の前日の一月一五日、右治水対策を基本的に受け入れることを決定した。

中部地方建設局、長野県、飯田市及び中部電力は、昭和六〇年三月二一日、「天竜川上流部の川路、竜江、竜丘地区の治水に関する対策についての基本協定」を締結した。これは、右基本合意に基づき、盛土事業等を行うこととし、それを実施する者や費用の分担を定めたものであった。

(イ) 内容

右のようにして、実施されることとなった地上げ計画の内容は、次のとおりである。

(a) 対象流量

地上げ計画における整備水準は、戦後最大流量である五八災の毎秒約三八〇〇立方メートル(天竜峡地点)を安全に流下させることを目標とする。

(b) 法線の設定

河道を決めるための法線(この場合は盛土の肩を結んだ線)は、洪水時における流水の方向や水衝りの位置、河道の現況、三六災での河岸の崩壊状況や土砂の移動状況、模型実験結果を勘案して、決定された。

(c) 縦横断形の設定

右(b)のとおり設定された法線に対応して、右(a)の対象とする流量を計画高水位以下で流下させるために、河道の縦横断形が設定された。計画高水位は、工事実施基本計画に定められた時又地点の計画高水位(378.144メートル)に対応し、かつ五八災の洪水痕跡値を包絡する高さとされた。

河床の縦断形は、近年で最も高くなった五八災後の河床とし、横断形は、五八災後の断面(河床)を基に、川路三地区については、右(b)の法線より山側の区域を計画高水位の高さまで盛土する計画である。

(ウ) 効果

地上げ計画は、右(2)(イ)(b)の危険区域内への洪水被害のおそれをなくすことを目的として、立案されている。したがって、地上げ計画の盛土が完成した所から、逐次右危険区域の指定は解除されることになる。また、右(2)(イ)(c)の危険区域内で洪水被害が発生した場合の損失補償についても、盛土が完成した所から逐次除くことになっている。

(エ) 実施状況

地上げ計画を実施するためには、盛土に使用する土砂の土取場の確保及びその土砂を搬出する運搬道路の建設等の準備工事と盛土等の本工事が必要であるが、準備工事は、かなり進展している。また、盛土等の本工事は、平成四年二月一四日に、起工式を行い、既に事業に着手している。しかし、いまだ完成してはいない。

(4) 堆積土砂の排除

天竜峡下流の阿知川との合流地点は、以前から、土砂の堆積が進んだところであった。そこで、昭和五九年一一月、飯田市と中部電力が出資して、財団法人天竜川環境整備公社を設立し、同年一二月から、阿知川との合流地点において、右公社による河床堆積土排除のための砂利採取が行われている。その許可量は年間約一〇万立方メートルである。

そのほか、川路三地区の天竜川の河道において、従前から砂利採取業者によって年間数万立方メートルの砂利採取が行われてきており、河床低下に寄与している。

2  次に、右1で認定した事実に基づき、本件処分の適法性について判断する。

(一)  法二三条、二四条に基づく水利使用許可処分については、要件が法に明示されていないが、既に述べたとおり、河川管理者は、法一条に定められている法の目的等に準拠して、これらの処分を行わなければならず、これらの処分を行うに当たっては、流量その他の河川の状況に照らして当該水利利用が成立し得るか、他の河川の使用との調整が適正に図られるか、流水の正常な機能の維持に支障がないか、流水や土地を利用して事業を行う者が事業を適正かつ確実に遂行する資力、技術的能力等を有しているか、その事業が国民経済上又は国民生活上有用なものであるか、その事業によって洪水等の災害の発生のおそれがないかなどを、総合的に考慮しなければならないというべきである。そして、それらの判断をするに当たっては、河川をどのように利用し保全していくかという観点から、様々な事情を斟酌して政策的な判断をする必要があるほか、専門的、技術的な観点からの考慮も必要となるのであって、その判断を河川管理者の裁量に任せるのでなければ適切な結果を期待することはできない。したがって、河川管理者は、法二三条、二四条に基づく水利使用許可処分をするに当たって、右のような観点からの広い裁量権を有するというべきである。

(二)  以上のような処分の性質からして、法二三条、二四条に基づく水利使用許可処分の取消訴訟においては、裁判所は、行政事件訴訟法三〇条により、河川管理者の判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が事実の基礎を欠くかどうか、事実に対する評価が合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くかどうかを審理し、それが認められる場合に限り、右判断が裁量権の範囲を超え又はその濫用があったものとして、当該処分を取り消すことができることになる。

そして、河川管理者の判断が裁量権の範囲を超え又はその濫用があったことについての主張立証責任はその取消しを求める原告にある。

(三) そこで、以上の観点から、本件処分の適法性について判断する。

(1) まず、前記一3で認定したとおり、本件危険区域内においては、現在、本件処分に係る事業に伴って設置されている本件ダムが一因となって洪水災害が発生するおそれがあると認められるところ、その点について本件処分時には事情が異なっていたと認められる事実は存しないから、右洪水災害のおそれは、本件処分時においても存したものと認められる。しかし、本件処分当時、原告らが、本件危険区域内に有していたのは農地であるから、洪水災害が生じたとしても、農作物等に対する財産的な被害は生ずるものの、生命、身体に対する被害はもとより、家屋や家財道具に対する被害が生ずるおそれもほとんどなかったものと認められる。そして、農作物等に対する被害のうち、本件ダムに関係する部分は、中部地方建設局長、長野県知事、飯田市長及び中部電力の間で昭和四一年四月一六日付けで締結された協定に基づき、中部電力によって補償されることになっており(前記第二の一4、右1(二)(2)(イ)(c))、その協定には、特に期間についての限定はない(乙二〇)。

また、既に第二の一4で判示したとおり、中堤防計画が実施されたことに伴い、本件危険区域内には、住居の用に供する建築物を建築してはならないこととなり、それまで存した家屋はすべて区域外に移転している。そして、本件危険区域内に住居の用に供する建築物を建築してはならないこととなったことやそれまで存した家屋が区域外に移転したことについては、右1(二)(2)(ウ)認定のとおり、中部電力によって補償がされている。

したがって、被告が本件処分をするに当たっては、右のような事情を斟酌することも許されるというべきである。

(2) 次に、洪水防止のために、右1認定のとおり、種々の対策が講じられている。このうち、地上げ計画については、本件処分当時は、いまだ実施されていなかったが、右1(二)(3)(ア)で認定したとおり、既に計画が立てられ、実施されることが決定していたのであるから、本件処分に際しては、そのような事情も考慮することができるというべきである。

なお、原告らは、地上げ計画の安全性に疑問があるとして、種々主張する(前記第二の二2(二)(3)(イ))が、次のとおり、地上げ計画に特に不合理な点があるとは認められない。

(ア) 盛土の標高に関する説明の矛盾(前記第二の二2(二)(3)(イ)(a))

証拠(乙九四)によると、地上げ計画の事業完成後の盛土の標高は川路地先で376.8メートルであると認められる。これに対し、工事実施基本計画に定められた時又地点の計画高水位は、乙五五号証によると、378.14メートルであるのに対し、甲一三九号証によると、376.37メートルである。いずれが正しいかについて、これを明らかにする証拠はないが、仮に376.37メートルが正しく、川路地先の盛土高が、さらに上流の時又の計画高水位より高いとしても、そのことから直ちに地上げ計画の安全性に疑問があり、同計画が不合理なものであるとすることはできない。

(イ) 五八災の洪水規模の把握(前記第二の二2(二)(3)(イ)(b))

地上げ計画の整備水準である毎秒約三八〇〇立方メートル(天竜峡地点)は、五八災における天竜峡のピーク流量を基に定められたものであるところ、証拠(証人望月達也)によると、この流量は、当時の観測所(時又地点)の水位及び流量の記録、本件ダムにおける水位及び流量の記録、降雨量等を基に、国(建設省)において、計算によって求めたものであると認められ、そのように定めたことについて特段不合理な点は認められないから、右流量に基づいて整備水準を定めることが不合理であるということはできない。

(ウ) 洪水の流出パターンの変化(前記第二の二2(二)(3)(イ)(c))

将来、生活様式の変化等によって洪水の流出パターンが変化することがあるのか、そういうことがあるとしても、それがどのような形で現われるのかについては、それを具体的に認めるに足りる証拠はない(甲一一〇号証には、そのようなことが生じるおそれがある旨の指摘があるが、将来の状況について具体的に述べるものではない。)。したがって、地上げ計画が、このような将来における洪水の流出パターンの変化を考慮していないとしても、そのことから、直ちに地上げ計画が不合理なものであるということはできない。

(エ) 盛土による水位への影響(前記第二の二2(二)(3)(イ)(d))

証拠(乙九二、九三、証人尾田栄章、同望月達也)によると、地上げ計画で従来洪水が氾濫していた部分を盛土することについて、国(建設省)では、模型実験、水位計算等によって検討した結果、この盛土部分は、洪水時にいわゆる死水域となる部分であるから、洪水がピーク時に流下する有効断面を侵すことにはならず、また、洪水の主流部と死水域との間の流れの乱れが無くなることにより、エネルギーの損失が小さくなって、洪水の主流部の流速が増すため、ピーク時における水位はほとんど変わらないとの結論を得たものと認められ、この推論の過程に特段不合理な点は認められないから、盛土による水位への影響があるから地上げ計画は安全性に問題があると認めることはできない。

(オ) 本件水位計算(前記第二の二2(二)(3)(イ)(e))

(a) 証拠(乙九四)によると、本件水位計算の結果では、川路三地区における盛土高と断面水位との高低差は、最も差が少ないところで一〇センチメートルであると認められるが、これが水位計算上の条件設定による誤差の範囲であると認めるに足りる証拠はない。

(b) 証拠(乙九四)によると、本件水位計算では、五八災洪水の痕跡水位を基に計算していると認められる。証拠(証人望月達也)によると、この痕跡水位は、国(建設省)において、洪水痕跡のデータを基に、水しぶき等による影響を排除した合理的な値を求めたものであると認められ、この痕跡水位が特段不合理なものであるとは認められない。

(c) 証拠(乙二二)及び弁論の全趣旨によると、川路地先では地上げ計画による盛土後においても、流路はわん曲していると認められる。証拠(証人望月達也)によると、国(建設省)においては、このわん曲は、それほど大きくなく、水位計算に当たって考慮する必要はない旨の判断をしていると認められ、この判断を誤りとする証拠はない。

(d) 証拠(乙九四、証人望月達也)によると、本件水位計算においては、主な支流から流入する流量は計算に組み込まれていると認められ、支流から流入する流量が計算に組み込まれていないから不合理であるということはできない。

(e) 本件水位計算では、右(b)のとおり五八災洪水の痕跡水位を基に計算しているところ、弁論の全趣旨によると、五八災洪水の痕跡水位は土砂を含んだ洪水流によって生じたものと認められるから、土砂が含まれていることにより水位が高くなることが考慮されていないとはいえない。

(f) その他、本件水位計算が不合理であるとすべき事情を認めるに足りる証拠はない。

(3) 本件処分の目的は、本件ダムによって水力発電を行うことであるが、本件ダムは、前記第二の一1のとおり、水利使用許可処分等に基づき、昭和一〇年に建設され、昭和一一年以降水力発電に使用されてきたものであって、本件処分によって新たに設置されるものではない。また、弁論の全趣旨によると、本件処分と本件処分前に中部電力が受けていた許可処分を比べた場合、許可期限の点を除いては、主な点に変更はないものと認められる。そして、これらのことは、本件処分時に存した事情として、本件処分に際して考慮することができるというべきである。

(4) 右(1)ないし(3)において判示したところによると、本件処分当時、将来本件ダムが一因となって洪水災害が生ずるおそれはあったものの、その被害の内容は、右認定のとおりの財産的なものに限られ、かつ、これを補償する旨の約定もある上、国は、右1で認定したとおり、治水対策を講じており、本件処分当時、既に地上げ計画の実施が決定されていた、他方、本件ダムは本件処分前から長年にわたって水力発電のために利用されてきたものであって、本件処分は、その状態を維持するために従前の許可処分とほぼ同様の内容でされたものであった、ということができる。そして、河川法四四条一項は、ダムの設置者に対し、ダムの設置により河川の状態が変化し、洪水時における従前の当該河川の機能が減殺されることとなる場合においては、河川管理者の指示に従い、当該機能を維持するために必要な施設を設け、又はこれに代わるべき措置をとらなければならないものと規定している。

そうすると、被告がこれらの事情を総合判断して本件処分を行ったことについては、裁量権の逸脱、濫用に当たるとすべき事情があるとすることはできないというべきであり、本件全証拠によるも、他に裁量権の逸脱、濫用に当たるとすべき事情を認めることはできない。

3 したがって、本件処分について、これを取り消すべき違法があるとすることはできない。

第五  総括

よって、本件請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官岡久幸治 裁判官森義之 裁判官田澤剛)

別紙図面〈省略〉

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